不倫を文化とするなら考えなくてはいけないこと

不倫や不義密通は、日本でも古くからフィクションの世界で多数題材にされてきた物です。
現代も、ドラマや映画で不倫や浮気を題材にした大人の世界の甘美な物として描かれていたり、禁断の愛などというような風に取り扱われる物でもありますね。
そう見ていると、不倫は文化だ、真実の愛を見つけるための物なのだという風にみる男女がいるのも頷けるかと思います。

不倫のフィクションと現実

密通や、姦通といったことが昔から題材にされており、そういったフィクションの世界ではまるで不倫をすることや浮気をする事が格好いい事のように扱われる事も少なくはないです。
女を惑わせる魅惑の男、男を手のひらで転がす魔性の女というようなやつですね。
しかし、そういったものにあこがれて実際に手を出すと話が変わって来ます

不倫が文化の根拠とは

「不倫は文化だ」という事を口にする人の多くが、日本の文学作品でも不倫という物がよく取り扱われているという事。
その中では美しい物として描かれている物もあったりすることが、文化だという人もいます。
つまりは、過去の事例として挙げられているからこそ、文化なのだという人が多いわけですね。

不倫を文化とするなら起こる事

しかし、過去の事例を挙げるのならば、それは都合のいいところだけをあげるのは論理的ではありません
では、過去不倫を行ってきた人たちがどのようになってきたのかにも目を向けてみましょう。
江戸時代以前の武家法では蜜懐法といって、不倫をした男女は土地の半分を没収され、土地を持ってない人は島流しにされていました。
また、明治時代では姦通罪が適用され旧刑法では懲役刑、または禁錮刑に処されていました。

不倫を文化とする際の処置

つまり、過去の事例を根拠とし不倫を文化と謳うのならば、不倫をした人間は島流しにされてもいいし、刑事事件と同じく刑務所に入れられてもいいという事になるのです。
不倫は文化、なんていうのは自分の都合のいい部分だけに目を向けた言い訳でしかないという事がわかると思います。