不倫は文化だというのは許されるの意味ではない

不倫は、昔から禁断の愛を描く題材として文化の一つに数えられていると言ってもいい物ですね。
しかし、不倫や浮気といった不義密通が文化である事を実際にやってもいい物だと誤解している人が多いからこそ、実際に密通してしまう男女が現代でも昔にもいるというのが大きな問題ですね。

現実に不倫をするのは文化ではない

前述の通り、不倫が文化であるのはあくまでフィクションの題材としてであって、実際にやるのとはまた違うということです。
現代でも、不倫をする事や浮気をする事は離婚の際に有責として判断される事です。
また、過去をさかのぼれば姦通罪蜜懐法という風に、不倫はもともとは厳罰を受ける事が定められていた犯罪扱いの事なんですね。

姦通や密通の定義とは

姦通、というのは一般的に社会的や道徳的に見ての不貞とされる性交渉のことを言うのです。
つまりは、強姦などと同じく既婚者や配偶者を持ちながら、別の異性と性交渉も同じように扱われるのです。
密通の場合は、不倫もそうなのですが婚姻していない男女間での性交渉もこちらに数えられる物として考えられていました。
つまり、過去を見ればむしろ不倫というのは容認されるどころか性犯罪扱いだったのです。

文化とは必ずしもいい言葉ではない

不倫というのは文化なのだ、こういう風に言えば確かにいいようにも聞こえますが、文化=容認されている事ではないのです。
悪習も慣習であるように、悪い文化もまた文化の一つなわけですね。
つまりは、不倫というのは本来手を出せば犯罪行為であり、罰される事であるという事も含めた所までが本来は文化として捉えられるべきものなのです。
不倫は文化なんだ、だからやってもいいんだという考え方はあまりにも自分都合的な考え方だと言わざるを得ないでしょう。
真に不義密通を文化だと捉えるのならば、その文化が意味するところを正確にとらえて理解しなくてはいけないのです。
文化は免罪符として使われる言葉ではないのです。